1999年、私は幼稚園の先生をしていました。

ところがある日、骨折をして入院。
何年か現場には戻れない。お仕事だって辞めなくてはいけない。
そんな私に元気をくれたのは「めぐみせんせい、がんばってね!」と
子ども達がプレゼントしてくれた絵でした。

絵ってなんてあったかいんだろう。絵っていいなあ。うれしいなあ。
自分でも絵を描いてみたら、うわあ、もっと、うれしい!
そうだ、私、絵描きになろう。しかも絵本を描く人になろう。
すっかりうれしくなってしまった私は
あの時、病院のベッドで(無謀にも)そう決めたのでした。
就職をしてたった2ヶ月の、大きな方向転換を
「応援するよ!」と言ってくれた父と、黙って見守ってくれた母に
まずはお礼を言わないといけません。
娘を信じてくれて、ありがとうね。

 
さあ絵描きになると決めたはいいものの
絵描きになる方法も知らなければ、絵を描くお仕事のことも、
もっと言えば社会の事も、本当の意味での「働く」という事も知らなかった私。
お絵かきは好きだったけれど、図工の成績はごく普通。
中学はブラスバンド部。高校は帰宅部。選択科目は音楽と数学A。
進んだ進路は保育の専門学校。しまった、美術のびの字もない。
まずは通信をとることにしましたが、通信で絵の勉強をしていても
やっぱり現場のことは分からない。
分からない事は聞いてみよう、と、無謀にも編集部に電話をしては
(今考えると、ああ、なんて、無知とは恐ろしい!)
「持ち込みがありますよ」と教えていただき、
名刺も持たずに持ち込みに行けば
「きたがわさん、名刺があるといいですよ」と教えていただき、
名刺を作って次の編集部にお伺いすれば
「置いて帰れるファイルがあるといいですよ」と教えていただき、
早速ファイルを作ってまた次の編集部にお伺いすれば
「このファイル、小さすぎますね。埋もれちゃいますよ。A4がいいです」と
サイズまで教えていただいて。
それからも、仕事の進め方、請求書の書き方、納品の仕方、
私は全てを現場の編集さんに教えていただきました。

ああ、いくら頭を下げても下げたりない。
知らなかったとはいえ、なんとご迷惑なことだったでょう。
そして私は、なんて幸せ者だったのでしょう。
何も知らない20代前半の小娘を、怒りもせず、見下すこともなく、
まっすぐな目で丁寧に教えてくださった編集の皆様に
心からお礼を申し上げます。
その節は本当にありがとうございました。
皆様のお陰で、絵描きになる事が出来ました。

 
はじめて頂いた仕事は育児雑誌の小さなカットでした。
今でも忘れません。とてもとても嬉しくて
お電話を切る時「一生懸命頑張りますっ」と言って、ぺこぺこ頭を下げました。
電話を切ってから、やったー!!と、叫びました。
私はこの雑誌が出た月を、私の活動開始日に決めました。
2003年3月。今から10年前の出来事です。

絵描きを目指して14年。初仕事から10年。
私は今、子どものものに絵を描いたり、
絵本を作る事をお仕事にしています。
奇跡のようなことだと思っています。

 
いろいろな方に、お会いする事が出来ました。
いろいろな体験をさせていただくことが出来ました。
人生で初めて「高みを目指す」事を知りました。
どれも、一人では何一つ、出来ないような体験でした。

これまでに出会えた、全てのみなさんに。
応援して支えてくださる、全てのみなさんに。
絵や絵本で遊んでくれる、子どもたちに。

ほんとうに、ありがとうございます。
うれしい事も、困った事も、笑っちゃうことも泣いちゃう事もたくさんあった
とても幸せな10年でした。
これからも、一生懸命、心をこめて頑張ります。

 
10周年にあたり、記念の動画を弟が作ってくれました。
じゅんじゅん、忙しいのにありがとうね。
歌ってくれているのは弟の友達の妹さんです。←遠い(笑)ありがとう、あおいちゃん!

歌詞にも書いたけれど、まだまだ、10年です。
まだまだ10年。だけれど、ここまできたね。おめでとう。
 

これからも、たくさんのみなさんに、お会いする事が出来ますように!

 

2013年3月
    

  

  

       

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